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2022.06.22Info

【L★R Rock Battle】AFTER STORY 4章【εpsilonΦ】

――二日目・昼。
 玲司はため息を吐きながら小さな子供を見る。旅行初日の紫夕の機嫌はすこぶる悪かった。
彼のわがままに付き合わされた玲司は、部屋のグレードを急遽最上級に変更したり、マグロをさばいたり、温泉の成分を解析したりと無茶な要望を必死に叶えた。しかし、その努力は報われず、紫夕の機嫌はなかなか直らなかった。
「…………」
 紫夕は相変わらず不機嫌な顔で、花瓶に生けてある花の花びらをぷちぷちと千切っている。見かねた玲司は紫夕に声をかけた。
「……紫夕、汚れます。花を散らさないでください」
「ヒマやからこうやってひとりで遊んどるんやろ。それにしても、みんなで旅行……一体いくつのお子様なん? ほんましょうもないわぁ」
 ひととおり花を千切り終わったあと、紫夕は大きく伸びをする。
「大体、LRバトルのご褒美かなんか知らんけど、こんな旅行で喜ぶ人なんておらんやろ。もし、おったらあまりにも可哀そうで涙が出るわ」
「気持ちはわかりますが……せっかく温泉に来ているんですし、部屋にこもってないで、紫夕も入浴してきたらどうですか?」
 玲司の提案に、紫夕は心底嫌そうな顔をした。
「いややわ。僕、誰かと一緒にお風呂なんて気持ち悪くて耐えられへんもん。……そういえば、ずいぶん静かやなぁ、この部屋」
 紫夕があたりを見回すと、一緒に来ていたはずの遥、奏、唯臣の姿はなかった。つい先ほどまで、騒がしく何か言い合いをしていたはずだが。
 紫夕が千切って遊んだ花を片づけ終えた玲司が、ああと頷き説明をする。
「唯臣は温泉を楽しみにしていたので、ひとりで先に出かけました。遥は温泉街の方に行ったようです。おそらくは奏も」
「温泉街……」
「はい。ホテルの周辺に足湯や日帰り温泉が楽しめる施設がいくつかあるようです」
「ふぅん。しゃあない、僕も出かけてこよかな。ここにおっても玲司のくだらん説教聞かされるだけやし」
 わざとらしく大きなため息を吐いた後、紫夕はゆっくり立ち上がると、さも当然のように花瓶を倒し、がしゃんという音とともに玲司を見た。
「じゃ、行ってくるわ」
「……紫夕、旅行先で問題を起こすのはやめてくださいね」
「それは僕の気分次第や」
 にたりと笑って部屋を出ていく紫夕を見て、玲司は小さく舌打ちをした。
「……ったく、あのお子様は」

 一方その頃、二条 遥は温泉街にある日帰り温泉にいた。
意外だと思われるかもしれないが、遥は温泉が嫌いではない。ストレスだらけの日常を忘れ、誰にも邪魔されずに自分だけの時間を過ごす。そんな心穏やかになれる時間は、遥にとって極めて貴重で重要なものだ。しかし、そんな遥の安寧は入浴してからたったの3分で霧散した。
「ねぇ兄貴! ここの温泉、美肌効果があるらしいよー。超いいよね」
「なんでお前がいるんだよ!」
 当然のように隣で湯を満喫する奏を見て、遥は怒鳴り声をあげた。
「はいはーい、怒鳴らないで。兄貴ってば相変わらず短気なんだから。逆に聞くけど、なんで俺がいないと思ったの?」
「…………」
 無言で立ち上がり、温泉を出ようとする遥の腕を奏が慌てて掴む。
「ちょっとちょっと黙って出ていこうとしないでー! たまには一緒に風呂っていうのも
悪くないでしょ? 子供の頃に戻ったみたいでさ」
「気持ち悪ぃ。消えろ」
「ひどっ! まぁ、いいや。それでさ、兄貴。どうだったの?」
「……何がだよ?」
「LRバトル。アイツも出場してたじゃん。兄貴の『ライバル』」
 奏はそう言うと、遥の一挙一動に注目しながら答えを待った。あえて遥が怒りそうな話題を選んだのは、彼を怒らせたいからではない。単純にこの話題の方が遥とたくさん話せるからだ。
 ――憎悪、嫌悪、殺意、戦意、嘔気、ほんの少しの慄然。奏は満足げに微笑んだ。
「前も言ったけどさ、俺は認めてないんだから」
「お前がどう思おうが関係ねぇ」
「だーから、関係あるんだって。アイツみたいな下手くそで中途半端な奴、兄貴のライバルなんてガラじゃない」
「二条弟は鶏ガラが好きじゃないのか?」
 遥と奏は、突然聞こえた声に心底驚いて振り返る。そこには予想外……ではあるが、見慣れた黒帽子がいた。
「俺は好きだ。鶏ガラは白米に合う」
「椿……?」
「……ばっきー、頭大丈夫? てかマジでどこから突っ込んでいいかわからないんだけど」
「俺はばっきーじゃない。椿 大和だ」
「うざっ……ってか、温泉で帽子被んなよ」
「しまった、脱ぐのを忘れていた」
「ちょっと兄貴。ホントに何なの、こいつ」
 そんなことを言われても、遥にわかるはずがない。遥は大きく息を吐いて気持ちを落ち着けると、未だに帽子をかぶったままの大和の頭を軽く叩いた。
「おい、椿。お前、なんでここにいるんだ?」
「旅館内の大浴場に行こうとしたら、この日帰り温泉にたどり着いたんだ」
「「なんでだよ!?」」
遥と奏の声が双子らしくきれいに重なる。しかし、大和はたいして気にした素振りを見せずにお気に入りの帽子を脱いだ。
「俺にとってはニチジョウサンハンジだ」
「日常茶飯事な。普通、旅館を出たところで気付くだろ……いや、椿は普通じゃないのか」
「普通だ」
「ってか、もう方向音痴ってレベルじゃなくない?」
「方向音痴じゃない」
「方向音痴じゃん! 自覚しろよ!」
「字画?」
「自覚!」
 奏は、苛立った様子で緑色の髪をぐしゃぐしゃっとかきあげる。そして、大和に聞こえるようにわざとらしく舌打ちをした。奏は、この世の不愉快を凝縮したようなこの男のことが、心底嫌いだ。
「あーもー、話通じなくて頭痛くなってきた……」
「頭痛か? かわいそうだな」
「ばっきーのせいだっての」
「……………もう出る」
「あ、ちょっと兄貴!」
 遥はため息を吐くと、逃げるように脱衣所へ向かっていく。
「あーあ、ばっきーのせいで兄貴が行っちゃったじゃん」
「二条は長湯するタイプじゃないのか。ツバメのギョウレツだな」
「カラスの行水! はぁ……なんでこんなのが兄貴の『ライバル』なワケ?」
「どういう意味だ?」
「相応しくないって言ってんの。頭が悪い、楽器も下手くそ、人の話を聞かない……おまけに努力も何もしてないやつがライバルだなんておかしいでしょ」
 奏の話を聞いた大和は、何かを考えるように黙り込んだ。
「何黙ってんの? 図星だった?」
「……二条弟も、二条のライバルになりたいのか?」
 大和の予想外の言葉に、奏は一瞬、呼吸を止める。胸を占める感情が、不快感なのか動揺なのかはわからない。ただ何を言われたのかまったく理解できなかった。
「俺は確かに頭が悪い。ギターもまだまだ下手だ。でも努力はしてる。あおいと岬に勉強を教えてもらったり、二条にギターを教えてもらったり」
「それがなに? 努力してるからエライって?」
「そうじゃない。一緒にいて変わりたいと思えるのがライバルなんだと思う。セッサタクエツ……セッサバンベツ……」
「……切磋琢磨って言いたいの?」
「そう。それだ。俺は二条にギターを教えてもらって、もっと上手くなりたいと思った。そうやって、お互いから学びあって、高めあえるのがライバルなんだと思う。……まぁ、俺が二条に教えてやれることは、米の品種くらいだが」
「何言ってるか全然わかんないんだけど」
「だから、二条弟も二条のライバルになりたいなら、そういう関係を目指せばいいんじゃないか?」
 大和の言葉を聞いて、奏は反吐が出そうだと感じた。そんなものの何がいいのか。自分たち兄弟はそんな関係になれないし、そもそも、そんな関係を目指していない。
「俺、ばっきーのこと大嫌いなんだよね」
 ようやく発せられた奏の言葉に、大和はそうか、と短く答える。苛立ちと焦燥、そしてありったけの不快感を込めて舌打ちをすると、奏は黙って湯を後にした。
――憎悪、嫌悪、殺意、戦意、嘔気、ほんの少しの慄然。まさに最悪な気分だった。

――二日目・夜。
 ようやく仕事を終えた黒川 燈は、心底楽しみにしていた温泉に浸かりながら穏やかな時を過ごしていた。
「はぁぁー……生きてて良かった」
 思っていた以上にくたびれた声が出て、改めて疲労を実感する。すると、ふいに誰かに話しかけられた。
「あれ、黒川さんじゃないですか」
 名前を呼ばれて、声の方を向く。しかしメガネを外しているため、視界はいつも以上にぼやけていてよく見えない。一生懸命、目を細めていると、相手がふっと笑ったのがわかった。
「ああ、見えないんですね。僕です、鞍馬唯臣です」
「鞍馬くんか! ご、ごめん! 目が悪いから誰かわからなくて」
「いえ、気にしないでください。今日はメガネじゃないんですね」
「うん。温泉では取る派なんだよね。それより……君も来てたんだ、温泉」
「はい。みんなは最初、すごく嫌がってたんですけど……」
「確かに、イプシのメンバーは温泉が好きって感じじゃなさそうだよね。ハワイとかヨーロッパとか、もっとこう……海外が好きそうなイメージがあるかも」
 それを聞いて、唯臣はくすくすと控えめに笑う。その様子を見て、燈はふいにフェリクスを思い出した。やはり育ちがいい人はみんな、笑い方も上品だ。
「黒川さんは、温泉が好きなんですか?」
「僕も高校生とか中学生とかの時はそんなに好きじゃなかったけど……大人になるにつれて好きになったっていうか、魅力がわかってきたんだ。今日も本当は食事の前に入りたかったんだけど、仕事が全然終わらなくてさ。結局、こんな時間になっちゃった」
「そうなんですね。お仕事お疲れ様です」
「ありがとう。鞍馬くんは好き? 温泉」
「興味深いと思います」
「興味深い? 温泉が?」
「はい。いろんな人たちがいろんな表情を見せてくれる場ですから。黒川さんのように気が抜けた表情の人もいれば、何かをずっと考えている人もいる。ただ湯に浸かるだけなのに、こんなに違うのはとても興味深いです」
「そ、そっか……」
 変わった子だなぁ、思わず出そうになった言葉を、燈は慌てて飲み込む。唯臣の独特な解釈に何も言えず、社会人らしく曖昧に微笑むことで誤魔化した。
「そうだ、黒川さん。さっき洲崎さんと玲司くんが一緒に入ってたんですよ」
「遵と烏丸くんが? それはまた珍しい組み合わせだね」
「黒川さんには、ふたりはどう見えますか?」
「どう見える……って、ええと……相性が悪そう、かな? 遵はどちらかというと引っ込み思案だけど、烏丸くんは積極的でしっかりしてそうだから。それにしても烏丸くんかぁ……遵、ちゃんと会話できたのかな」
「できてましたよ」
「そっか、良かった。高校生と会話できるなんて、遵も成長したなぁ」
 唯臣は口元に笑みを浮かべたまま黙り込む。それは燈の話を真剣に聞いている、というよりは、燈のことをじっと観察しているようだった。さすがに気まずくなって声をかける。
「えっと、鞍馬くん?」
「……僕は、玲司くんと洲崎さんはとても似ていると思います」
 唯臣の髪からぽたりとひとつ、雫が落ちた。その瞬間、あたりの音が一斉に消え、唯臣の声だけが不気味に響く。
「玲司くんは自分と洲崎さんは違う人間だと思っているけど、それは違う。玲司くんも洲崎さんと同じ立場にいる人間です」
 まるで世界から切り取られてしまったかのような感覚に、燈は何も言えずに黙り込んだ。
「……もし、この世に奪う者と奪われる者がいるとしたら、ふたりとも奪われる側の人間なんです。いや、奪われた側なのかな。玲司くんは必死にもがいているようですけど、そう簡単に人は変われません。そう思いませんか?」
「な、なるほど……?」
 ようやく絞り出した声はあまりに情けない音色をしていて、唯臣の世界に飲み込まれていたことがはっきりとわかる。
奪う側、奪われる側……とてもじゃないが温泉とはかけ離れた言葉だ。そんな話をして、唯臣はいったい何を求めているのだろうか。
燈は以前、唯臣と公園で話した時のことを思い出していた。
そのときも不思議な少年だと感じたのを覚えている。自分が唯臣と同じ歳だった時、こんなことを考えただろうかと自問してみた。もしかしたら、唯臣は哲学やそういった類が好きなのかもしれない。それは良いことだが、唯臣と同じことに興味を持つ友人が同級生にいるのか心配になった。周りと話が合わない、というのはいくつになっても存外辛いものだ。
燈は、仕事で疲労し温泉でふやけた脳みそをフル回転させた。そして一度、大きく息を吐きだしてから、できるだけ誠実に、慎重に、丁寧に考えて答えを返す。
子供に寄り添うことは、自分たち大人の義務だ。

「えっと……つまり、鞍馬くんから見た烏丸くんは優しい人ってことかな?」
「え?」
「まとめると、烏丸くんは人から何かを奪うようなひどい人じゃないってことでしょ? 遵もそうだよ。人一倍優しいから、誰からも何も奪わないし、奪おうとしない。だから奪われる側になっちゃうんだろうけど、そんな遵だから助けたくなるし、応援したくなる。鞍馬くんから見た烏丸くんもそうだってことだよね」
「なるほど……黒川さんの解釈は、時々予想外ですごく勉強になります」
「そ、そうかな? これ、遵には内緒にしといてね。なんかこっぱずかしいから」
「もちろんです」
 燈は、唯臣の変わらない表情を見て、果たして納得のいく返答ができたのか不安になった。そして、気まずそうな咳払いをしてから、そっと立ち上がる。そろそろ脳みそが溶けだして零れそうだ。
「じ、じゃあ僕、そろそろ上がろうかな。鞍馬くんは?」
「僕はもう少しここに居ようと思います」
「そう? ……そういえば、どれくらい浸かってるの?」
「大したことありません。たった数時間、といったところでしょうか?」
 首をかしげて笑顔で答える唯臣を見て、燈はふっと笑う。思考も見た目も大人びているこの少年も、こうして冗談を言うのだと思うと、なんだか微笑ましく感じた。
「ははっ、そっかそっか。じゃあ、のぼせないように気を付けてね」
「はい、ありがとうございます」

 燈が出たあとの温泉で、唯臣は表情を変えずにぽつりと呟く。
「僕にとっての玲司くんかぁ……考えてもみなかった。やっぱり黒川さんは面白いな」
 小さく零れた言葉は誰の耳にも届かず、湯に溶け込んで消えていった。

 脱衣所で服を着た燈は、ドライヤーでガシガシと適当に髪の毛を乾かしていた。しかし、ふと感じた違和感に手を止める。
そういえば、遵が温泉に入りに行ったのは何時だっただろうか。燈よりかなり前に入ったような気がする。
そして、風呂へと続く扉に目を向ける。
風呂場は、まるで初めから誰もいなかったかのように、しんっと静まり返っていた。

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